神頼みの根っこ

 諏訪大社は九州の宗像・高千穂、出雲、伊勢神宮と並ぶいわく付きの神社ですので、叩けば叩くほど怪しい話が出てきます。そんなもので時間の許す限り今見ることの出来る信仰の根っこのところも合わせて参拝して来ました。

 一つは「上社前宮」と「上社本宮」の中間地点の少し南の山中に諏訪大社飛地があり、縄文時代からの諏訪信仰の原初と言われる磐座(いわくら)信仰遺跡の「小袋石」、諏訪大社の御神域を示す立て看板手前の小さな川を渡り、斜面を登ると約10mごとに並ぶ小さな祠を過ぎたところに見上げるほどの大きな岩が小袋石でした。

このような立て看板が立っています

 大鹿村中央構造線博物館の説明によると日本列島を魚の開きのように上下に二分する中央構造線を縦に分断する糸魚川-静岡構造線の東側のフォッサマグナは南から北の方向に押され、西側は反対に北から南に押す形になり、中央構造線諏訪湖の辺りで12kmほど分断されたせいで圧縮圧力が抜け、地殻が埋没し諏訪湖ができたとのことです。今でも1000年で10mほど移動しているようで120万年かけて現在の地形が出来上がっているようです。何年か前にブラタモリで解説もしていましたねぇ。

 上記「中央構造線博物館」のサイトで断層の地図が載っていますが中央構造線と糸静構造線が交差する辺りに小袋石があるようにも見えますね、これ以上は「ムー」の世界になりそうなので口は黙ます。

古代諏訪湖は小袋石に船を繋いでいたほど水位が高かったとあります

 小袋石の近くから諏訪の方を見た風景で、左の木々の向こうに現在の諏訪湖があります。諏訪湖の水位がここまであった時は小さな入江みたいな場所だったんでしょう。

小さな祠が4つほど並んでいます

 左上から磯並社・瀬神社・穂股社・玉尾社。全ての祠に御柱が建てられています。聖域を守るための結界のために御柱を四方に建てるとありますが、土に杭を打つのは何かしらの動きを留めるようにも感じられますが、この諏訪には独自の「ミシャグジ信仰」と重なる独自の民族信仰が発展してきた結果からなんでしょう。W杯の時だけファンになるような「にわか民俗学」ですね。(笑

真ん中に見えるのが小袋石、左の祠は玉尾社