湯の峯温泉の宿に到着したのは午後5時過ぎで、午後に降っていた雨も上がったばかりの頃でした。ここの温泉は日本最古の湯と言われ、世界で唯一世界遺産として登録されている温泉です。
遅めの昼食を予定していた那智大社で大雨に降られ食べ損なっていましたので、早々に温泉に浸かり7時頃には夕食をいただき早めに就寝しました。
3日めの朝は9時には旅館を出発、山道を約15分ほど走り熊野本宮大社に到着し参拝。その足で明治22年の水害で遷座されるまで本宮大社の在った旧社地 大斎源(おおゆのはら)へ。広い川の中州におよそ2000年の間信仰の場所だったこともあり、神聖な空気が流れていました。
国道168号線を北上し十津川村に向かいます、目的地は標高1067mの玉置山頂上近くに有る玉置神社。狭い山道をこれでもかと登っていったところに広い駐車場があり、車を停め歩いて神社に向かいますが、スニーカーよりも山道をトレッキングするような靴に履き替えた方がいい山道を20分近く歩きます。標高が高くあまり人の入らない山なのか、途中の杉の木の太さと大きさに神々しささえ感じられます。
開祖は第10代崇神天皇と言われ熊野3大社の奥宮でもありますが、頂上近くに神武天皇の東征以前から白い玉石を熊野磐座信仰として崇められ、玉置神社の礎となった場所で社殿はありませんが玉石に礼拝する古代の信仰様式を残している場所で行きたかったのですけれど、今回は移動に時間を取られケツカッチンですので神社から玉石社までの往復の約1時間が取れず、行くことが出来なかったのが非常に残念です。
再びクネクネの細い道を十津川村まで戻り、国道168号線で五條市を目指し北上します。次に向かうのが平安時代後期、神社の格式を決める上で国の天変地異などの重大事に朝廷から奉幣を受けた二十二社の一つ、丹生川上神社。
こちらは雨を司る水神の罔象女神(みずはのめのかみ)ですが、長い時間とともに奉幣が少なくなるなど衰退し、応仁の乱以降所在も不明となったようで、現在は上社・下社・中社と3社があり、順番に下社・上社・中社と周ってきました。
最初に伺った丹生川上神社下社の駐車場に向かうと、首都圏でも余り見ることのない同じ車が駐車しています。あら、珍しい。と思いつつ参拝し、社務所で神職の方と言葉をかわしていると「ムルティプラ乗ってこられたんですか、つい最近まで同じ色の車に乗っていたんですよ。車内のベタベタ病はどうされています?」など、車の話で盛り上がっちゃいました。
その後上社に向かい参拝しますが、こちらは大滝ダム建設で水没することになり、平成10年に新しく建てられた社。ダム建設による調査で縄文時代からの祭祀が発掘されるなど、祭祀空間として途中中断されていたようですが明治時代に丹生川上神社奥宮として再興したとあります。
そして最後に丹生川上神社中社に向かいますが、う〜ん、昔一度通った道。2002年その頃乗っていたAlfaRomeo 166という車の集まりで行った、1957年(だったと記憶します)のジュリエッタ・スパイダーに乗っていた永松シェフの1日1組限定のお店、イタリアンレストランのロアジというお店の近く。確か閉店してからだいぶ経っていると記憶していますが、製材所を改装し、シェフ自ら作られるの新鮮な野菜や川魚を使った美味しい料理を食べさせてくれるいいお店だったなぁ。
川に沿って境内も広く社務所で神職の方と30分近く、吉野の山や林業と水のことを話し込んでしまいましたので、川の向かいにある元宮に参拝できなかったのが悔やまれますが、桜井市に有るオーベルジュに向かいました。